◆2003.11/26〜27:豊後高田「昭和の町」◆
中心市街地活性化助成金・コンセンサス形成事業を活用して
体験研修に行きました

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中心市街地活性化助成金:コンセンサス形成事業
「TOWN・COOK・PROJECT」
第二段体験研修視察旅行
豊後高田「昭和の町」の商店街へ

≫豊後高田「昭和の町」のHPはこちら≪
↑詳しくはHPをご参照ください。
また実際行って体験しないとわからない事が多いと思います。
豊後高田「昭和の町」とは昭和30年の復活で商店街おこしをしています
早朝6:00三次出発
メンバーは20名
商店街7名
一般参加者5名
コンダクター2名
その他商店街協力者6名

到着はお昼過ぎ
まずは昭和の町商店街散策
「ん?なんかみよし本通り!?
もしかして本通りより・・・」
お昼はこちらで懐かしい「給食」が
食べれます。
さて、お腹もいっぱいになり
町おこしのキーマン金谷氏登場!
初日はまず金谷氏の案内で
「昭和の町」見学

「今日は過去一番少ない
観光バスの台数で7台です。
土日はだいたい40台前後が来ます」と・・
すっすごい・・何故?何故なの??
商店街一丁目と言うのでしょうか
出発点です。
どこから見ても
「みよし本通り」と変わらない!?
どこが違うのか・・・・
参加者皆不思議顔・・・
1軒目もと病院を豊後牛が食べられる
飲食店「柊」(ひいらぎ)に改修改装

※こちらの女将もキーマン(ウーマン)の1人
やはり女性の視点は重要です
「豊後高田で儲けさせてもらったので
この地に還元したい」と
「柊」は昭和の町が出来る前から営業して
いますが、最近ではお昼のお客様を
お断りするぐらいの来店数だそうです。
店内にはあの懐かしいラビットスクーター
と当時のドクターバック
バックの中には当時の診察道具が
入っていました。

「そうそう、昔はこうやって往診に
来てもらってたよね。。」と思わず
懐かしさが込み上げる参加者
続いて電気屋さん
昭和の30年に電化製品が普及
しはじめその頃に使われ始めた
洗濯機、冷蔵庫、テレビetcが展示され
テレビでは黄金バットが放送
金谷氏の多少ブラックジョークの混じった
商店街の案内!

そうか・・・これか・・・これが
この町の活性化につながっているのか
こうやって商店街のお店も紹介しますが
商店主の生い立ちや建物までも紹介
実は、ボランティアで案内する
おばちゃま案内人が2名いて
その方の案内はまた一段と
楽しいようです。
最近はリピーターも増えているとの事。
こちらの電気屋さんでも
昭和の遺産を展示
「ようこんなもんが残っとたのぉ〜」
「皆捨てたよのぉ〜〜」
「取っときゃよかったのぉー」と・・・
さて、こちら呉服屋さんでは
7代目店主が自ら
一店逸品、一店逸宝をご披露
こちらでは2代3代と履いた「たび」
破れては縫い破れては縫いした
今や大切な一宝になっています。
「昭和の町」への参加店ではどのお店にも
この逸品逸宝を展示しています。んん。。
という事は参加していない店もある?
そうですよ、どこの商店街でも賛否両論
あり・・でもいつも心はウエルカム!
商店街を抜け最後に
駄菓子屋さんと昭和ロマン蔵に到着

商店街は距離にして500m
ほんとうに、みよし本通りに似てる・・
と思いきや・・・「わぁーすごいぃーー」
と参加者!
このロマン蔵の中には昭和のお宝が5万点
ここまで昭和を再現されてる場所は
日本中どこにも無いでしょう。
とにかく見なきゃわからん・・
ぜひ、一度訪れてください。
その時は、必ず案内人を頼んでください。
≫駄菓子屋の夢博物館≪
商店街のいたるところに
この看板が立てられ
次々昭和の風情を取り戻しつつあります。
また街角には
店主達のちょっとした
季節のディスプレー
これが哀愁まで誘います
体験研修視察という事で初日には
金谷氏の話、また質疑応答による
ミーティングをしました。
内容は書ききれないので
省略させていただきます。
とにかく金谷氏は「熱い熱い方です」
自分の事を「キチガイ」とまで
言い切って町おこしをされています。
スゴイ・・あの熱さを持たなくては!
二日目は
立ち上げのキーマン3名が
集まりミーティング
この金谷氏含め3名が
集まる事は、過去初めてで
みよし本通りの熱意も通じた
のではないでしょうか!
ほんとうに「熱い熱い3名」です
さて、体験研修視察の目玉、「商店街体験」時間です
まずは、みよし本通りの核である
三次フードセンター三次店店長は
同業のお店へ・・
初心に戻り生肉コーナーへ
また地元の人たちとの交流も
あり、いろいろと仕事の楽しみ、悩みを
話したとの事
また、同じく主任は
乾物等を売るテント市場へ
観光客と地元の人々が
今の町おこしにどのように
交わっているか、また観光に
来られたお客様が何を買って帰るか
いろいろと視察しつつ販売しました。
副理事長は「杵」と言うお餅屋さん
喫茶もあり、掃除好きの副理事長だけ
あって開店前から、机、椅子、床と
雑巾を走らせ掃除を・・・
お店の方々も若く
笑みも耐えなかった様です(^o^)/

他の商店街メンバーもいろいろなお店で
販売の実地体験をし、昭和の町での商売を
研修しました。
・・・最後に・・・
とにかくこれだけのページでは書ききれない内容の研修を2日間させていただきました。
昭和30年に戻すという事は、高度成長期に取り付けた屋根の看板をはずし、
出てきたもとの姿が昭和30年、そこに今や郷愁、哀愁、懐かしさが漂う・・
金谷氏「お金が無いなら、お金をかけない方法で商店街を作ればいいじゃないか」
まさしくその通りに「昭和の町」は復活して来ています。
もちろん、素晴らしいキーマン、仲間がいるからこそ出来ていると言う事もあります。
今、観光としての仕組み作りが出来始め、次は商店街で商売がきちんと出来る仕組みを
作らなくてはいけないとの事ですが、商売人はこの観光要素をもっともっと利用して
来る方に懐かしい時代、癒される空間を作り商売につなげていただきたいと思います。
さぁー、みよし本通り商店街はこれからどうする!?これだけ熱い熱い人達を見て
何もしない訳にはいかんでしょ!?商店街は商売人が作るものでしょ!!

豊後高田「昭和の町」の皆様本当にありがとうございました。
過去無かった素晴らしい研修になりました。
きっとまた熱意を感じに再訪させていただきます。

※案内人のおばちゃま写真が撮れてなかった・・・けど
おばちゃまのボランティアがこの町の原動力です!
忙しいからって昼ご飯抜いちゃいかんよぉー、体力あっての案内人だからね!!
注>おばちゃまと言っても本当は、お若いお二人です!失礼いたしました!!

・・・了・・・

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